(現在絶好調、中井広恵六段)
(連覇を目指す、石橋幸緒天河)
(優勝杯はどちらの手に)
(和やかにイベント終了)
(ご観戦ありがとうございました)
投稿者: lpsa
準決勝
準々決勝
(開会式、出場者が抱負を語る)
(新藤仁奈アマ)
(会場には朝から多くの方が詰めかけた)
(2回戦で林葉直子さんを破った中倉彰子初段)
(船戸陽子二段)
(前年度第3回優勝、石橋幸緒天河)
(作戦は中飛車)
(鈴木悠子アマ)
(山下カズ子五段)
(第1回、第2回優勝、中井広恵六段)
(中井六段は現在公式戦19連勝中)
(師匠の中井六段に挑戦する渡部愛TJP)
(準々決勝4局は同時に進行)
(4局とも盤側からリアルタイム中継)
(大盤解説のライブ中継をイヤホンで聴きながら、コメントに反映する)
(大盤解説は木村一基八段)
(聞き手は中倉宏美二段)
(山下五段、大きな誤算があったか)
(新藤アマ、堂々の準決勝進出)
(石橋天河、絶体絶命のピンチ)
(鈴木アマ、金星なるか?)
(中倉初段、終盤で逆転勝ち)
(鈴木さん、5手詰を見逃してしまった!)
(控え室にて感想戦)
(中井六段を追い詰めた渡部TJP、あと一歩及ばず)
(178手の大熱戦にも幕)
(一局を振り返る木村八段)
(大盤解説場にて感想戦)
8/8(日) 第4回日レスインビテーションカップ準々決勝・準決勝
LPSA公認棋戦「日レスインビテーションカップ・第4回女流棋士トーナメント」の準々決勝・準決勝を昨年同様、一斉公開対局と大盤解説会を行います。
◆主催 日本女子プロ将棋協会 日本レストランシステム株式会社
◆協賛 株式会社トーエル キリンビール株式会社 中沢乳業株式会社
◆日時 2010年8月8日(日) 10:00開場/10:30開会/17:00終了予定
◆場所 京王プラザホテル東京(東京都新宿区西新宿2-2-1)
◆スケジュール・プログラム
 ・10:30~ OPENING 選手紹介・コメント
 ・10:45~ 準々決勝 石橋幸緒四段-鈴木悠子アマ
               山下カズ子五段-新藤仁奈女流アマ名人
               中井広恵六段-渡部愛ツアー女子プロ
               船戸陽子二段-中倉彰子初段
        大盤解説:木村一基八段(日本将棋連盟)、聞き手:中倉宏美二段
 ・14:00~ 準決勝大盤解説  
        女流棋士指導対局 定員12名(申込は当日行います。希望者多数の場合は抽選)
 ★対局は持ち時間各40分・秒読み60秒で行います
◆入場料 一般:2,000円/ファンクラブ会員・学生・女性:1,500円
◆参加申込方法 
 往復ハガキ・FAX・Eメールに参加者の氏名(フリガナ)・住所・電話番号を明記して下記までお申し込み下さい。
 TEL:03-3915-0931/FAX:03-6413-0934/Eメール event@joshi-shogi.com
 ★申込先着100名の方に限り、当日お土産付きです。
中倉彰子初段-林葉直子さん観戦記(5)
観戦記(最終回) 第2章へ…
                          辰巳五郎
「途中でいいと思ったんだけど…どこが変だった?」
中倉女流初段の△5七金を見て投了した林葉さんは、笑顔で話しはじめた。
「△2五角のときに▲4八金寄がイヤでした」と中倉女流初段。
 その後、△8五歩を▲同桂と取れていた話など。
「相振りばっかり研究してたんだけど…。相振りやらないんだ」(林葉さん)
「はい」(中倉初段)
「やらないから、あれーっとか思って(笑)」(林葉さん)
感想戦は、石橋幸緒女流四段、船戸陽子女流二段も加わり、10分ほど続いた。
「林葉さん、考えている姿が昔と変わらない」(船戸二段)
「もっと実戦やらないといけないね」(林葉さん)
 林葉さんはとても楽しそうだった。負けて残念という思いもあるにはあるだろうが、久し振りに本格的に将棋を指せたという充足感のほうが大きかったようだ。
記者会見
 取材陣が戻ってきて午後3時30分から記者会見が始まった。対局前よりも人数が増えて40人以上。
 はじめに共同インタビューが行われ、その後は各社個別の囲み取材になった。
 林葉さんが話した内容を要約すると次のようになる。
「王手もできず、ミスも多くて残念。でも楽しかった」
「良さそうだと思って調子に乗ったら墓穴を掘った。今はポンコツ車なので、修理をしないと。今は30%くらい。100%は無理でも、あと40%くらいは上がるかも。またチャンスがあると思うので腕を磨きたい」
今後の本格復帰について「今は負けたばかりで考えられないけど、ファンの方々のお話も聞いて、考えたい」
私は聞いていて、林葉さんはもっと調子に乗って指していれば、勝機をつかんだのではないかと思った。
 ポンコツ車のたとえ話も出たが、変速装置やハンドルの修理は必要だが、エンジンや車体構造は少しの整備だけで済むのではないかと感じた。
 中倉女流初段は、勝負が終わってホッとした雰囲気が半分、緊張の名残りが半分。
 記者会見では、角打ちに金を寄られていたら厳しかったこと、緊張をしたことなど語られていたが、次の言葉が、林葉さんの将棋を物語っている。
「林葉さんの将棋は研究したが、定跡のない自由な将棋で分からなかった」
 最後は、テレビ局からの求めに応じ、林葉さんと中倉女流初段が握手をするシーンが撮影され、記者会見は終了した。
林葉さんの思い
 中倉彰子女流初段は、ブログで次のように書いている。
 林葉さんは、ブランクがあり、実戦不足だったと思いますが、
 やはり元タイトル保持者の実力をお持ちの方、大局観など、強さを感じました。
 また、対局が終わった後、 気さくに話しかけてくださったり、
 報道陣の方との対応でLPSAのことを気遣ってくださったり、とても優しく明るい方でした。
 広報担当理事として当日会場に詰めていた大庭美夏女流1級は、林葉さんの記者会見での言葉に触れ、twitterで次のようにつぶやいている。
 個人的には林葉さんが「楽しかった」「こういう可愛い子たちがたくさんいるのでみなさん女流棋士を応援してください」と言ってくれてなんとも言えない気持ちになりました。そうですね、これからにつなげていきます。
 
 
 船戸陽子女流二段は、林葉さんの帰りを見送りする間、少し話をした。
 林葉さんは船戸女流二段に次のように言葉をかけた。
 「陽子ちゃんに教わりたかった」
 林葉さんが勝っていれば、準々決勝で船戸女流二段と対戦するはずだった。
 「滅相もない。身に余りすぎるお言葉。こちらが教わりたかったです」。 
 船戸女流二段は、林葉さんが経営していた「ウーカレー」に何度も通うほど林葉さんを慕っていた。
 このように、林葉さんが後輩女流棋士や女流棋界を思いやる気持ちはとても強い。
 何度か林葉さんにお会いしていつも思うのは、彼女は、将棋が大好きだった少女時代の純粋な心をそのまま持ち続けているのではないかということだ。
 会話の節々に将棋を愛する気持ちが感じられるし、人に対しても真面目で遠慮深い。
 現在の彼女から、偽悪的(実はそうではないのに自分を悪そうに見せること)な部分と酒を飲むことと煙草を吸うことを取り除けば、内面はそのまま女流棋士になった頃の林葉直子さんになるのだと思う。
 対局中の楽しみながら将棋を指している雰囲気、対局が終わった後の充実感溢れる笑顔、林葉さんがいかに将棋を愛しているかがわかる。
 私見ではあるが、今回の対局で、林葉さんの中に女流棋士だった頃の気持ちが甦ってきたようにも思える。
戦友
 控えのコーナーには中井広恵女流六段が来ていた。
 中井広恵女流六段と林葉直子さんは、タイトル戦を10回も争った良きライバルであり、親友だった。
 例えば、1993年の将棋年鑑には、次のような棋士アンケートの回答が掲載されている。
○身長・体重・血液型
林葉直子女流五段の回答→159cm、中井広恵より5kg重い、B型
○無人島に一年間住むとしたら、何と何を持って行くか(二つだけ)
中井広恵女流名人・女流王位の回答→林葉直子と携帯電話
○健康法
中井広恵女流名人・女流王位の回答→林葉直子の下ネタ話を聞く事
 林葉さんはひらめきで指すタイプだったので感想戦で駒を元に戻せないようなことが多かった。中井-林葉戦のときは中井女流六段に駒を全部動かしてもらって感想戦をしていたこともあったという。それほど仲が良かった。
 中井女流六段は翌日に女流棋士として新記録となる18連勝をかけた対局を控えていたが、対局場に駆けつけた。(翌日18連勝を達成し現在19連勝中)
 それまで最多の17連勝は、林葉さん(1982年度)、山田久美女流三段(1993年度)、清水市代女流王将(1994、98年度)の3人が記録していた。
 控えのコーナーに、記者会見を終えた林葉さんがやってきた。
 林葉さんと中井女流六段はいろいろと雑談をしていた。
 二人の間で連勝記録の話は出なかったが、初めて17連勝を達成した林葉さんと、明日、新記録の18連勝を目指す中井女流六段、二人が並んでいるのを見て、とても感慨深かった。
 しかし、林葉さんは自分が17連勝したことを果して覚えているのだろうか?
 別れ際、中井女流六段が言った。
 「直子ちゃん、早く、体を治さなきゃダメだよ」
 「うん、わかったよ広恵」
 林葉さんは笑顔でLPSAサロンを後にした。
中倉彰子初段-林葉直子さん観戦記(4)
観戦記(4) 中倉彰子の気骨
                                   辰巳五郎
 「そうか……」とつぶやいた林葉さんは、駒台に何度か手を運んでから▲6一角。
 △5五銀と桂を取られても▲4三香が成立する(以下、理想的には△同金▲同馬△同銀▲4一竜の狙い)。
 中倉が姿勢を変えずに考える。秒が読まれる。考える。秒が読まれる。そして、やや強い手つきで△2五角。
(第7図)

 非常手段ともいうべき攻防の角だ。この局面が次の一手の問題になったら結構悩ましいかもしれない。
 林葉さんは13分ほど時間を残しており、残り時間を気にしながらも、じっくりと考えはじめた。読むのを楽しんでもいるようだ。
 中倉は、対局が再開された3手目以降、盤面だけに集中している。
 このとき中倉は▲4八金寄とされるのが嫌だと思っていた。攻めが空振りになってしまう可能性があったからだ。中倉の表情は落ち着いているものの、瞬きのペースは最高潮に達している。
 もし、この場に中倉彰子ファンがいたならば、すぐにでも助けてあげたくなっただろう。
逆転
 早指しで快調に飛ばしてきた林葉さんは、ここまでで一番の長考。
 そして指された手が▲3六香。
 この手が敗因となってしまった。
 林葉さんは▲4八金寄も考えたが、△5五銀と桂馬を取られたりするのが不満だったらしい。▲5五桂は取られてしまう運命。そうであるのなら、新たに目の前に現われた2五角を詰ませてしまおうという発想の▲3六香だった。▲5五桂を必要以上に悔いて5五桂の代償を求めに駒得に走ったものなのか。
 しかし、▲4八金寄△5五銀▲4三香で十分だった。
 また、△2五角に対して、▲4三香△5八角成▲同金△同竜▲4二香成△4七金▲3四角成で詰めろ逃れの詰めろと、一気に勝負に行く手順もあった(感想戦での石橋幸緒女流四段の指摘)。
 ▲3六香と打ったので、後手には▲4三香の脅威がなくなった。
 中倉から見れば、終盤の危なかった局面が中盤に戻ったことになる。
 逆に林葉さんから見れば、既に終盤の入り口と意識して指すべきところを、中盤の感覚で指してしまったということになる。
 そういった意味で、中倉が放った△2五角は決して好手ではなかったが、勝負の流れを変えた、中倉の勝負師としての念がこもった一手だったといえる。
辛抱が実る
 ▲3六香に対しては△5五銀。嫌味な存在だった桂を自分の持ち駒に変えるとともに、防御一方の位置にいた銀を戦線に参加させる一石三鳥の手。
 林葉さんは予定通り、▲2六歩で角を殺す。
 △3六角▲同歩を経て、中倉が仕方がないという感じで△4三香と置く。
 一見筋が悪そうな辛抱一筋の手だが、この一手で林葉さんの攻撃体制が無力化されてしまった。
(第8図)

 林葉さんは▲7二角成から▲7三馬と攻撃の仕切り直しをはかるが、中倉も着実に△4六銀、△2四桂と迫ってくる。
 そして、▲7四馬に△7七竜。
(第9図)

 林葉さんは少考後▲7五歩と打った。馬を切ったり移動した際に△7一歩と竜筋を止められるのを嫌った手だが、この日の林葉さんは、ノータイムで指した手に良い手が多く、時間をかけて指した手が疑問手という傾向だった。
 ここでは、▲6三角とアヤをつけにいく順もあった。▲6三角に△4五桂▲4一角成△同銀▲同馬△同金▲同竜△3六桂という展開になれば混戦。実際には▲6三角に△3一金と寄られて余されるのだが、アヤをつける意味では本譜よりも優った。
 中倉は△3六桂から収束に入る。玉がどこに逃げても△5七銀成から一手一手。▲3九玉△5七銀成で大勢は決した。
 中倉の瞬きのペースは普通に戻っている。
(第10図)

 以下74手まで、中倉が綺麗に寄せ切った。
 途中までは林葉さんが優勢で勝機もあったが、中倉が辛抱を重ね、一瞬のチャンスをうまく生かし勝利を呼び寄せた一局だった。
中倉の気骨
 昨年9月26日の日レスインビテーションカップ準々決勝・準決勝でのこと。
 女性アマ強豪の台頭は近年めざましく、女流棋戦トーナメント本戦まで勝ち上がることも珍しくなくなってきており、中倉の準々決勝の相手は高校生強豪の小野ゆかりアマ女王だった。
中倉は、鬼神が乗り移ったような攻撃で、この勝負を勝つ。
 準決勝の相手は、準々決勝で中井広恵女流六段を破った女子中学生最強の成田弥穂女子アマ王位(当時)。
 中倉にとっては2戦続けてのアマ強豪との対決で神経を使う展開となった。
 対成田戦は、終盤中倉が優勢になったが、最後に逆転されて敗れてしまう。
 この日は、一斉公開対局であり、大盤解説会も行われた。
 対局を終了した中倉は、大盤解説会場で感想戦を行い、大盤解説会が終わった後、一人、対局場に戻って敗局の検討を続けていた。
 写真(http://www.joshi-shogi.com/nrs/20090926_nakakura-akiko.jpg)で見るその後ろ姿には、並々ならぬ闘志を感じさせられる。
 そして、今年の7月17日、第4期マイナビ女子オープン一斉予選の日。
 中倉の対戦相手は、前年9月に日レス杯準々決勝で戦った小野ゆかりアマ女王。
 中倉は終盤まで優勢に進めていたが、一手の緩手が響いて逆転されてしまった。
 終局後の大盤解説会場での公開感想戦が終わった後、たまたま私は、中倉とすれ違った。大盤解説会場ではいつもの笑顔の中倉だったが、その時の中倉は、やや目を瞑りながら、無念そうな、悩ましそうな表情をしていた。壮絶な美しさの勝負師の顔だった。
 
中倉は自身のブログで次のように語っている。
 脇役とは十分承知していましたが、こんなに注目された中で
 対局できることは、今までにないことなので、精一杯対局しようと
 思っていました。
 今回の林葉さんとの対局は相当なプレッシャーがあったものと思うが、そういった中、中倉は、女流棋士としての矜持を示した。
(明日の最終回につづく)
中倉彰子初段-林葉直子さん観戦記(3)
観戦記(3) 瞬きとため息                      辰巳五郎
 ▲7七桂を指した後、林葉さんは席を立った。立つと同時に蝉が鳴きはじめた。ここまでの消費時間は、林葉さん13分、中倉女流初段20分。
 中倉女流初段は長考に入った。視線は敵陣右翼に注がれている。対局開始以来、中倉女流初段の瞬(まばた)きの回数が多い。女性の場合、1分間に32回以上瞬きをしている時はかなり緊張をしている状態という。取材陣の多さと熱気から、見慣れたLPSAサロンが異空間化し、取材陣が去ったと思ったら、そのまま「林葉直子」との対局。プロといえども、緊張しないほうがおかしい。
 林葉さんが席に戻ってきた。蝉の鳴き声が止んだ。林葉さんは向いの壁に貼られている「集まれ将棋ガールズ」のポスターを眺めている。
 中倉女流初段、林葉さん、ともに対局中は相手の顔は見ない。林葉さんが扇子をパチパチと二度鳴らす。林葉さんの扇子は大山康晴十五世名人の「夢」。
 今日の林葉さんは、レインボーカラーのチューブトップワンピースにラベンダー色のカーディガン。本人曰くリゾートファッション。中倉女流初段は、濃紺のカットソーに白のスカートと、シックな装い。
 テーブルには、二人にそれぞれ2本の飲み物が用意されている。
 ひとつが、日レスインビテーションカップの協賛である株式会社トーエルの「アルピナ・ピュアウォーター」(http://www.alpina-water.co.jp/)。北アルプスの麓で採水される水を逆浸透膜システムにより分子レベルまで磨き上げた、純水に近い水だ。
 もうひとつが、やはり協賛であるキリンビール株式会社と同じキリングループのキリンビバレッジ株式会社の「午後の紅茶 ストレートティー」(http://www.beverage.co.jp/gogo/)。紅茶は「冷やせば濁る」という性質を持っているが、この特性をクリアアイスティー製法により打破したリーフティーの本格紅茶だ。
読みのエアーポケット
 中倉は12分の長考で△8五歩。林葉さんの誘いの隙には乗らなかったものの、この手は危険だった。▲8五同桂と取られる筋がある。(△同飛なら▲9六角)
(第4図)

 ▲8五同桂△5四角▲8六飛、または▲8五同桂△8四飛▲8六歩のような展開となり、一気に優勢になるわけではないが、一歩得であることと指し手の主導権を握れることが大きい。 
 ▲8五同桂の筋は、対局中は両対局者とも気が付いていなかった。読みから抜け落ちていた。感想戦で林葉さんは「なんだ、取っていれば良かったんだ。気が付かなかったから、気が付かなかったのよね」と笑いながら語った。対局者同士のテレパシーのようなものだ。
幸せそうな表情
 大きくため息をついた林葉さんは▲6五歩から攻めにいった。△同歩なら▲同桂△6四銀▲6六歩で、次に▲7四歩や▲6三角の楽しみが残る。
 中倉は△8四飛と柔らかく受ける。ここで林葉さんが考え始める。扇子を鳴らしてため息を二回。林葉さんは、指し手が思い通りにいっている時に、ため息が出るようだ。
 そして、4分考えて▲7四歩。決戦開始。
 林葉さんが席を立った。先程と同じように、立つと同時に蝉が鳴きはじめた。中倉は読みにふける。瞬きの多さは変わらない。
 林葉さんが席に戻ってきた。不思議なことに、先程と同じように蝉の鳴き声が止んだ。林葉さんは「アルピナ・ピュアウォーター」を飲む。
 中倉は40分の持ち時間を使いきって、秒読みになった。林葉さんは残り19分。
 林葉さんの対局中の表情は少し微笑んだ感じのポーカーフェースだが、間近で見ていると、楽しみながら将棋を指している雰囲気が強く伝わってくる。
 「将棋に戻ってきて良かったですね」
 思わずそう声をかけたくなってしまうほどだった。
決戦
 ▲7四歩に対して中倉は意を決したように△同飛として、飛車交換を迫る。△同歩では▲6二角と打たれ馬を作られるので△同飛しかない局面でもある。以下、飛車交換をして互いに飛車を打ち合った。
(第5図)

 林葉さんは、ここから▲8一飛成と桂を取る。▲4一飛成△同銀▲7九金もあったが、林葉さんは桂、香を入手して敵陣に迫る絵図を描いた。以下、△8八飛成▲5五桂。
 局後に林葉さんは▲5五桂を悔やんでいた。▲5五桂では、先に▲9一竜と香を持ち駒にして、それから▲5五桂を狙う方針のほうが本譜よりも優っていた。△4二金引と引かせてからの▲9一竜は、次の▲4三香を見せたスピード重視の手だが、中倉は取ったばかりの銀を5四に打ち込み必死の防戦。
(第6図)

 しばらくしてから、林葉さんが「そうか……」とつぶやいた。
 林葉さんは、銀を受けられてやや悲観してしまったと局後に語っていた。だが、ここではまだまだ有望だった。
(つづく)
中倉彰子初段-林葉直子さん観戦記(2)
観戦記(2) 林葉式石田流           辰巳五郎
午後1時、対局が開始された。立会人は石橋幸緒女流四段、記録は大庭美樹女流初段。
林葉直子さんがノータイムで▲7六歩。
間もなく中倉彰子女流初段が△3四歩。
ここで、取材陣が退出。時計が止められ、対局がいったん中断する。
林葉さんは席を立って一服。
中倉は席に座ったままで「初めての雰囲気で……」とつぶやく。
中倉は自身のブログでこの時の様子を次のように書いている。
 対局場の入ると、報道陣の多さにビックリ。
 見慣れたLPSAサロンが、異空間のように感じました(^^;)
テレビでの司会の経験が豊富な中倉でさえ驚くほどの、熱気と人の多さだった。
二人の棋風 
 林葉さんが日本将棋連盟を退会する1年5ヵ月前に中倉が女流棋士になっているが、この間、二人の対戦は一度もなかったので、初手合いということになる。
 中倉は四間飛車穴熊を得意としているが、もともとは居飛車党。相手が振り飛車のときは相振り飛車にせず、居飛車穴熊にすることが多い。序盤から少しずつリードを広げて勝ちにいくタイプで、優しく清楚な外見とはうらはらに、過激な指し手が繰り出されることも多い。
 一方の林葉さんは、変幻自在。過去の棋譜をもとにそこから新しい一手を研究するのではなく、最初から自分自身で違う棋譜を創造してそこから最高の一手を考えたいという主義だ。
 現在では戦法として確立されている初手▲3六歩からの袖飛車は、林葉さんが20年前に多用していた戦い方であり、対左美濃藤井システムも、20年前の林葉さんの一局(1990年12月13日女流名人位戦 中井-林葉戦)がヒントになったとされている。
 現役時代から定跡や他人の棋譜は研究しなかった。あるインタビューでは、林葉さんが一番やりたくない棋士は林葉直子と語っている。何を考えているのかさっぱりわからないというのがその理由。
 林葉さんの将棋は、ひらめきを積み重ねる将棋なのだ。
▲7五歩の背景
 午後1時6分から対局再開。
 再開直後、林葉さんがノータイムで▲7五歩と突いた。
 石田流の出だし。
 この日、林葉さんは事前に具体的な作戦を立ててきたわけではなかったが、相振り飛車を想定していた。(後手番だったら4手目に△3三角と指すつもりだったと局後に語っている)
 まだ対戦相手が決まる前、林葉さんはある棋士からアドバイスを受けた。
 「最近の女流の対局は相振り飛車になることが多いんですよ」。
 林葉さんは、対局までの時間が限られているので、相振り飛車に絞って研究を開始することにした。その時には相振り飛車の指導も受けた。15年ぶりの対局とはいえ、定跡や棋譜を研究しない林葉さんとしては異例のことだった。
 この5月、林葉さんが将棋連盟に15年ぶりに行った時(昨日の記事参照)に、「あっ、大ちゃんの本だ」と言って販売部で買った本が、鈴木大介八段の「明快相振り飛車」(創元社)。戦型の分類と整理にちょうど良い本だった。
 ▲7五歩は、そういう意味では、石田流対居飛車ではなく相振り飛車の気持ちで指された▲7五歩だった。
 しかし、中倉は相手が振り飛車のときは相振り飛車にはしないので△4二玉。
 局後の記者会見で、
 石橋「3手目▲7五歩は現在将棋界でも流行している作戦でして・・・」
 林葉「えー、全然知らなかった(笑)」
というのも、このへんに理由がある。
 林葉さんはノータイムで▲7八飛。
 相振り飛車にならなかったとしても、一向に気にせず前に進むのが林葉流。

乱戦を避ける
 中倉としては▲7八飛ではなく▲6六歩を予想していたのだろう。これなら持久戦になり、中倉が得意とする自玉を固めてから攻撃体制に移る図式を実現できるし、そのような実戦例も多い。
 しかし、大胆な▲7八飛。
 この局面から、△8八角成▲同銀△4五角という手がある。以下、▲6八金△2七角成▲7四歩△同歩▲5五角△3三桂▲7四飛△7三歩▲3四飛などの展開の乱戦になるが、それは序盤における中倉の棋風ではなく、また、現役時代、形にこだわらない将棋を得意としていた林葉さんを乱戦に誘導するのは得策ではないという判断がはたらいた。
 そういうわけで中倉は、少考後おだやかに△6二銀。以下、駒組みが進むが、林葉さんの▲5八金左から▲7六飛が独特な指し方。このタイミングの▲7六飛は△3四歩を狙いにいく含みがあるので、中倉の角交換から△3二銀は必然の流れとなる。

誘いの隙
 林葉さんの▲5八金左が独特な理由は、▲7六飛と浮いて角交換されると、その後の模様の取り方が難しくなるからだ。7八の地点にスキができるので、▲7七銀や▲7七桂と活用しづらくなる。
 通常は▲5八金左と上がらずに、将来▲7八金とする前提で6九金のままでいるのが石田流の指し方。
 升田幸三実力制第4代名人は自らが編み出した升田式石田流を数多く指しており、そのほとんどは▲7八金(△3二金)と活用しているが、一局だけ実験的に▲5八金左(△5二金左)と指したことがある。(1971年12月王将戦 対有吉道夫八段戦)
 後手の升田九段は、2一桂の活用もままならず、2二の銀を僻地の1三に上がる非常手段をとっている。この後、升田陣は攻め潰される。
 升田式石田流の家元、升田幸三実力制第4代名人をもってしても、▲5八金左(△5二金左)型は、うまくいかない。
 しかし、林葉さんは、この難題をクリアしてしまう。
 指し手が進んで第3図。

 ▲7七桂と跳んだので、7八と8九に角を打ち込むスキができた。一瞬ドキッとするような局面だ。
 しかし林葉さんは対策を用意していた。△7八角には▲9八角で、
 (1)△6九角成ならば▲8九角。次に▲5九金寄で馬を取ることができる。
 (2)△3五歩には▲6五桂(7八角取り)△3四角成▲7三桂成△同桂▲7四歩。
 角を手放したくなければ、△7八角と打たれた時点で、▲6五桂△8九角成▲7三桂成△同桂▲7四歩という、もっと過激な手順も成立する。
 △7八角や△8九角を打つと幸せになれない。
 この局面、感想戦で林葉さんは次のように語っている。
 「角を打ってくれないかな~と思っていたのに」。
 林葉さんが現役の頃は、升田式石田流がプロの間では指されなくなっていた時期だった。現役時代を含め、升田式石田流の研究をしたことがない林葉さんが、一瞬のひらめきで創り上げた局面だったのだ。
 石田流の姿を借りた林葉流の将棋と言うべきか。
(つづく)
8/2~6 日レス杯中倉彰-林葉戦の観戦記掲載開始
LPSA公認棋戦「日レスインビテーションカップ・第4回女流棋士トーナメント」(主催:日本女子プロ将棋協会、日本レストランシステム株式会社/協賛:株式会社トーエル、キリンビール株式会社、中沢乳業株式会社)の2回戦、中倉彰子初段-林葉直子さんの対局は、7月28日(水)13時より東京・北区「LPSA駒込サロン」で行われ、14時46分、74手で後手の中倉彰子初段が勝ちました。
本局の模様は8月2日(月)から6日(金)まで辰巳五郎さんによるweb観戦記として「日レスインビテーションカップ中継サイト」に掲載いたします。どうぞお楽しみに!
★観戦記はこちらからどうぞ
中倉彰子初段は、8月8日に東京・新宿区「京王プラザホテル東京」で行われる準々決勝で、船戸陽子二段と対戦いたします。また、当日林葉直子さんは大盤解説会のゲストとして来場予定です。
【日レスインビテーションカップ準々決勝・準決勝実施要項】
http://joshi-shogi.com/kisen/nrs/4thnic_semifinal.html
【中倉彰子初段コメント】
 緊張した対局でした。4手目角交換はおだやかにしたかったので避けました。攻め込まれて悪くなる順もあったので危なかったです。48手目△2五角に対して4八金寄とされていたら攻めが空振りになってしまったかもしれません。終わってほっとしました。
【林葉直子さんコメント】
 実戦が全然できなかったので見落としが多かったです。実戦をもっとやらないとだめですね。▲55桂(43手目)がひどかった。銀を受けられて手がなくなってしまいました。椅子対局はやりやすかったです。時間はあっという間でした。
 今後については、負けたばかりなので少し時間をください。今度京王プラザ(大盤解説会)にうかがうので、ファンの皆さんの声も聞いて考えたいです。
【立会人・石橋幸緒四段(LPSA代表理事)コメント】
 注目の一戦がまずは無事に終わり、皆様に予想以上の反響をいただきましたことに感謝申し上げます。
 最後まで見ごたえある将棋で、個人的にも林葉さんの指しまわしには胸高鳴る思いがありました。特に序盤は仕掛けのチャンスがあって「これは!」と、一ファンの気持ちで期待していました。中倉初段の鋭い寄せの前に今回は残念な結果となってしまいましたが、林葉さんにはこれを機会にまた将棋を楽しんでいただき、女流棋界を応援していただければと思っております。
【中井広恵六段(LPSAエグゼクティブアドバイザー)コメント】
 終盤はちょっと一方的でしたが、ブランクの割には途中までの指し方はよかったと思います。
 とにかく体調を直すことが第一なので、体調がよくなったら今後のことを落ち着いて考えてほしいです。
中倉彰子初段-林葉直子さん観戦記(1)
観戦記(1) 15年ぶりの復活
                                                辰巳五郎
 午後12時45分、林葉直子さんが対局場へ登場すると、一斉にフラッシュがたかれた。テレビカメラも林葉さんの姿を追っている。取材陣は30名近くの人数。
 LPSAは、この日の記者会見を円滑に進行するために広告会社のサポートを受けており、前々日には予行演習を行うなど入念な準備をしている。
 林葉さんの撮影は5分間行われ、12時50分には中倉彰子女流初段が入場。再び一斉にフラッシュがたかれる。
 
 両対局者が席について、駒箱を開けるときに、二人の会話があった。
 上位者が駒箱を開けて駒を取り出すのが作法だが、中倉女流初段が林葉さんに「どうぞ」とうながした。林葉さんは笑顔で、「それはプロの先生が」。
 中倉女流初段が駒を取り出して、中倉女流初段、林葉さんが交互に駒を並べていく。
 林葉直子さんが15年ぶりに戻って来た。
 日レスインビテーションカップへの主催者特別招待選手としての参加なので、将棋界への復帰ということには即つながらないが、林葉さんにとっても将棋界にとっても、大きな出来事であることは間違いない。
 林葉さんへ、LPSAを通して日レスインビテーションカップ出場のオファーがあったのは4月下旬のことだった。林葉さんはこれに快諾して、対局は7月に設定された。対局相手は中倉彰子女流初段。
 思えば、林葉さんにとっては長い15年であり、波乱に富んだ15年だった。
中倉彰子女流初段と林葉直子さん
 中倉彰子女流初段は1977年3月2日生まれ。お父さんが大の将棋好きで、“彰子”の名は、時の蛸島彰子女流名人にあやかってつけられた。中倉が将棋を覚えたのは6歳のとき。妹(中倉宏美女流二段)と一緒に将棋の駒にさわって遊んでいるのを見たお父さんが教えてくれた。
 この頃、林葉さんは15歳。前年に蛸島から女流王将を、その年には蛸島から女流名人位を奪取し、二冠王となっている。
 1970年代が、蛸島彰子、山下カズ子をはじめとする女流棋士1期生が牽引し女流棋界の土壌を作り上げた創成期とすると、1980年代は、10代の林葉直子、中井広恵が大活躍して、その土壌から芽を出す飛躍期だった。
 中倉は、1991年と92年の女流アマ名人戦で優勝し、1992年に女流育成会に入会する。そして1994年4月に高校3年で女流棋士(女流2級)としてプロデビューする。
 中倉がプロになった時の林葉さんは、タイトル獲得15期、将棋大賞女流棋士賞6回受賞のスター棋士で、日本中で「林葉直子」の名前を知らない人はいないほどだった。
 中倉から見たら、「林葉直子」は憧れ、あるいはそれ以上の存在だった。
林葉さんの波乱
 ところが、同じ年の6月11日、新聞、スポーツ紙、テレビなどで、林葉さんが失踪したと一斉に報じられる。
 林葉さんは5月29日に、心身ともに疲労を感じ極限状態にあるのですべての活動を停止ししばらく休養したい、棋士としての処遇は日本将棋連盟理事会の決定に従うという旨の休養願いを提出していた。理事会は特例としてこれを受理したが、すでにスケジューリングされている対局について林葉さんと話し合う必要があった。しかし、林葉さんとの連絡が取れなかったため中途半端な状態が続いた。このとき林葉さんはロンドンへ行っていた。
 6月9日、10日の対局に林葉さんが現われなかったことで、6月11日の失踪報道となる。サイババに会いにインドへ行っているというデマまで流れた。林葉さんにも脇の甘いところはあったが、様々なボタンの掛け違いで、休養願い提出報道であるべきところが失踪報道として独り歩きしてしまった。このような大騒動になるとは思ってもいなかった林葉さんは、7月中旬に急遽帰国し、記者会見を開くことになる。
 私は、林葉さんが人の悪口を言うのを一度も聞いたことがないが、「千駄ヶ谷近辺には行きたくない」とだけは数年前まで林葉さんは語っていた。彼女の夢を育んできた地が、思い出したくない場所に変わってしまったのだった。
 林葉さんにも連盟理事会にも悪意はなかったものの、結果的には林葉さんにとって極めて不幸な出来事となった。
退会
 林葉さんは、1995年8月24日に日本将棋連盟に退会届を出した。将棋が嫌いになったわけではないが、情熱が冷めたという理由だった。
 日本将棋連盟で退会記者会見をしたその夜、林葉さんは新宿の料理店で行われていた羽生善治六冠(当時)と畠田理恵さんの婚約お祝いの席へ駆けつけている。林葉さんは羽生六冠の実力と人間性を高く評価しており、お別れの挨拶も兼ねていた。
その後の15年
 中倉は、1997年と1999年にNHK将棋講座の聞き手、2000年度から2002年度までNHK杯将棋トーナメントの司会・聞き手を務めるなど、その清楚で明るい笑顔は多くのファンを魅了した。しっかりとした外見からは想像もつかない天然キャラクターであることも人気の一因となった。
 中倉彰子・宏美姉妹がヒントとなって2001年に制作された女流棋士姉妹が主人公の映画「とらばいゆ」(主演 瀬戸朝香)では、瀬戸朝香への将棋演技指導、記録係役での出演など、姉妹で活躍している。2002年には、ソロシングルCD「Tearful Smile」をリリース。インターネットラジオ「Positive de GO!」(2007年5月~2008年6月、2010年)では中倉姉妹のトークが好評を博した。
 昨年の日レスインビテーションカップでは、ベスト4に勝ち残っている。
 私生活面では、2003年の8月に中座真五段(現七段)と結婚。今年の6月11日には男の子が産まれ、中倉は三児の母となった。
 一方、林葉さんは、退会後は波乱万丈の15年間を迎えることになる。
 1998年、週刊文春で林葉さんの不倫スキャンダルが持ち上がる。2007年のゲーム誌のインタビューで林葉さんは、ニューヨークに遊びに行く直前に電話をかけたのがたまたま雑誌の編集をやっていた友人だったことがきっかけとなって、不倫問題が発覚してしまったと語っている。また数年前の週刊文春の取材回顧特集では、テレビを見て事の推移に驚いた林葉さんが「あれでは(先方が)可哀想すぎる、これからすぐに謝りに行く。もうこれ以上記事は載せないでほしい」と号泣したこと、編集部が説得しそれを止めたことなどが編集部によって書かれている。
 その後、写真集を出したりしていた林葉さんだったが、転機は2004年に訪れる。
 ひとつは、月刊漫画雑誌で将棋をテーマとした「しおんの王」の連載が始まったこと。原作は“かとりまさる”、これは林葉さんのペンネームだった。小説のつもりで原稿を編集者に見せたら、面白いので漫画の原作にしようということになったのだ。かとりまさる=林葉直子であることは1年以上極秘とされていたが、退会してから9年間、将棋とはまったく関わりを持たなかった彼女が将棋と少しでも向き合った瞬間だ。
 もうひとつは、六本木に「ウーカレー」というインド料理店を開店したこと。店名は「うー、辛え」が語源。内装はミニクラブの居抜きで、インド人シェフによる本格的インドカレーの店だった。彼女自ら動き回り、お客さんの席へ着いて会話もした。
 経営は苦しかったが、望外の出来事もあった。どこで聞きつけたのか、林葉さんと同年代のプロ棋士や後輩の女流棋士が店に通い始めてくれたのだ。林葉さんは社交的な性格だが、自分から連絡をして人を誘うことはしない。ましてや味の良くない別れ方になってしまった将棋界に対してはなおのこと。それだけ、彼女の人柄を慕って訪ねてきた棋士や女流棋士が多いということになる。
 そして、懐かしい顔を見ているうちに、林葉さんの心の中に将棋を指すのを再開しようという気持ちが芽生えてきた。それまでは、将棋の盤駒や新聞の将棋欄などは見ないようにしていた。見ると、将棋をやりたくなったり寂しくなったりするからだ。
 店には将棋盤と駒が置かれ、将棋が指せるようになった。
 結果として、赤字が続いたので「ウーカレー」は翌年の11月に閉店することになるが、林葉さんにとっては、昔の仲間に会えたこと、将棋を再開したことなど、大きな心のプラスになった。  
 将棋に対する思いも復活してきた。2006年には将棋ペンクラブ会報で、作家の高田宏氏との対談に林葉さんはゲストとして登場している。
 しかし、この年、様々な事情から林葉さんは自己破産をすることになる。
 そして2007年から再出発。「しおんの王」がでテレビアニメとして放送され、DVD化、ゲームソフト化もされた。
 ところが、「しおんの王」の原稿を書き終えた2008年、林葉さんは体調を崩して、入院を半年ほどしていた。退院後は福岡へ戻り、静養したり、将棋好きな寺の住職と将棋を指したりの日々が続いた。
林葉さんの復活
 現在、お母さんと一緒に住んでいる林葉さんだが、今年は将棋への関わりが増えつつある。
 2月には、日本将棋連盟の顧問弁護士であり将棋ペンクラブ会長の木村晋介氏との飛車落お好み対局が行われ、その模様が将棋ペンクラブ会報に掲載された。
 また5月には、千駄ヶ谷の将棋会館で開催された将棋ペンクラブ交流会に、斎田晴子女流四段、安食総子女流初段、松尾香織女流初段とともに林葉さんはゲストとして参加している。
 当初は、退会記者会見以来15年ぶりとなる将棋会館へ行くことを少しためらっていた林葉さんだったが、いったん中へ入ってしまい、将棋を指したり、昔タイトル戦で戦った斎田女流四段などと会話をしたりしているうちに、「千駄ヶ谷近辺には行きたくない」という長年の思いも氷解したということだ。林葉さんも骨の髄まで将棋が好きなのである。
 この日、林葉さんは、日レスインビテーションカップに向けて、連盟の販売部で一冊の技術書を購入した。現役時代は、棋譜や定跡をまったく研究しなかった林葉さんだが、15年のブランクを少しでも埋めるために手に入れた本は何だったのか?
 書名は、明日の観戦記でお伝えしたい。